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2 農林水産省 消費・安全局長賞 <食育ネットワーク分野> NPO法人霧島食育研究会

「学ぶ・創る・耕す・つながる」霧島食育研究会を核とした活動

発表者:千葉しのぶ さん

■「食育って何?」 心に抱えたもやもやーっとした気持ち

 初めまして。鹿児島の霧島というところからまいりました、霧島食育研究会の代表をしております、千葉と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 今日は、『「学ぶ・創る・耕す・つながる」霧島食育研究会を核とした活動』を報告させていただきたいと思います。
 私の住む霧島は、鹿児島と宮崎の県境の、霧島連山の高千穂の峰のふもとにあります。春になると菜の花を咲かせ、それを緑肥としてすきこんでいます。人口が5,800人の小さな町で、だんだん人口は減って高齢化率は30%なんですけれども、元気なお年寄りがたくさんいらっしゃるところです。

 最初は一人で食育活動を始めました。私はフリーの管理栄養士で、最初は4年程前に「食育」という言葉がいっぱい流れてきて、私も霧島で霧島の食育をしたかったんですけれども、まずは最初に、子どもたちの料理教室と、自分が思う食育の仕方――お箸の持ち方とか、スポーツ飲料だとか、それからスナック菓子の中の油の量だとかを子どもたちに伝えること――をしていたのですが、その時私の心にあったのが、すごく「もやもやーっとした気持ち」でした。

 中央から流れてくる食育の情報は間違いではないし、とてもいいものなんですが、ただそれは「本当に霧島の子どもたちからお年寄りまでのことを考えた霧島の食育かな」と思っていたこと、それから「食育」という言葉が自分自身、いま一つ掴めなかったということがあります。

■霧島食育研究会の3つの目的・4つの活動

 そういったこともあり、7人の人たちに声をかけ最初は8人で、平成16年1月に「霧島食育研究会」を作り、現在15名で活動しています。20代から60代まで、男性の方も4人います。

 私たちがこの食育研究会でしたいことの目的が3つあります。
・家庭の味、それから地域の食文化の継承=母さんの味とばあちゃんの味を子どもたちに伝える
・いただきます・ごちそうさま、という感謝の気持ちを育てよう
・食を大切にする文化をこの霧島で育てる
の3つです。

 

活動は「学ぶ・創る・耕す・つながる」という4つの活動をしております。
 「学ぶ」は、霧島食育プログラムという妊娠期から高齢期までの15のプログラムを作り、これには121団体、現在約8,000人の方が参加していただいています。「創る」は私たちのメインの取り組みである霧島・食の文化祭という取り組み、「耕す」が、霧島・畑んがっこという取り組みです。
 今回はこの「食の文化祭」と「畑んがっこ」の活動について、詳しくお話させていただきたいと思っています。

■「霧島・食の文化祭」のきまりはひとつ

 まず「創る」、霧島・食の文化祭ですが、現在4回開催しております。のべ3,500人の参加を得、スタッフものべ500人の参加をいただいています。テーマを「子や孫に残したい霧島の食は何ですか」とし、「お金は無いんですけれどもやってみませんか」と声をかけて、約30の団体と協力しています。

 メインは家庭料理大集合です。家庭の中で、「この料理は美味しいねー」とか、「母さんの料理だね」「ばあちゃんの料理だね」という料理を一皿ずつ持ち寄り、それを見て最後は食べるという取り組みです。
 きまりが一つだけあって、家庭料理と一緒に一枚の紙を出していただきます。その紙には、料理名と簡単な作り方とともに、「この料理への思い」というのを必ず書いていただきます。
 当日は子どもたちが、自分の作った料理を自分で作ったお皿で持ってくる、それから高校生もお菓子だとか、お弁当を作って持ってきます。地域の方もそれぞれに、家庭の料理を大事そうに持ってこられます。

■「母ちゃんの声が聞こえる」高菜のおにぎり

 80代の方が作られた、あるお菓子です。料理名には“塩ドーナツ”とありました。「この料理への思い」には、こんなことが書いてありました。「昭和21年、お腹を空かせた3人の妹たちのために作った塩ドーナツです。砂糖がなかったので小麦粉に重曹を入れ、塩を入れてこねて作りました」と書いてありました。

 また50代の方が出された“高菜のおにぎり”は、ご飯に高菜の漬物を巻いただけの簡単なものですが、この方は料理名に「母ちゃんの声」という名前をつけていらっしゃいました。

 現在50代のこの方は、早くにお母さんを亡くされて、3人兄弟の長女です。やすこさん、といいます。「この料理への思い」には、こんなことを書いていらっしゃいました。鹿児島の言葉です。母さんの声でした。
 「やすこー、きよみー、さとるー、母ちゃんたちゃ畑いくっでねー。おやつは高菜んにぎりめしがあっでねー」家は貧しかったと言われます。それでも子どものために高菜のおにぎりを、「めしじょうけ」という竹の器に置いていかれたそうです。
 この方は今でもよく高菜のおにぎりを作られ、作るたびに、母さんの「やすこー、きよみー、さとるー、母ちゃんたちゃ畑いくっでねー」という声が聞こえるそうです。この方にとって、高菜のおにぎりは母さんそのものです、ということでした。

 こういった料理が150並びます。霧島には、家庭料理、珍しい料理なんてない、郷土料理なんかない、と言われるんですけれども、そこに集まったのは一言で言うと、本当に骨太な素朴な力強い食でした。
 昔は子どもへの思いとか家族への思いを、「愛」という言葉では言わなかったんですが、まさしく「少ない材料でも貧しい食材でも、なんとかして家にいるお年寄りのため子どものために、食べやすくしてあげたい、美味しく食べさせてあげたい」という心意気とか愛とか、家族の思いやり、歴史を感じる150品でした。

■高崎スミさんが再現する“ちゃぶ台の食卓”

 圧巻は、スタッフの最年長の高崎スミさんが用意されている、ちゃぶ台の上の食卓です。高崎さんは毎年、ちゃぶ台の上に、ある年のある場面の食卓を再現されます。一昨年再現されたのが、昭和18年の霧島の大みそかの食でした。
 霧島は山の中にあるので、生魚を食べることがほとんどないそうです。一年に1回か2回「無塩(ぶえん)」と呼ばれる生魚、搗いた餅に小豆をまぶした「年重(としかさ)」、「煮しめ」が並んだ食卓です。食卓のまわりには誰もいないんですけれども、あたかも、父さん・母さん・じいちゃん・ばあちゃんがいて、子どもがいて、会話をしているような雰囲気のある食卓でした。

 そして高崎さんがこの時、私に言われた言葉が非常に重かったです。高崎さんは当時79歳でしたけれども、「もし私が来年生きていたら、昭和19年の食卓を再現します」と言われました。そして約束通り次の年、昭和19年の食卓を再現されました。
 昭和19年11月の「弟との最後の食事」です。高崎さんも、母さんを早くに亡くされて、何人かいた兄弟が、それぞれの親戚のところに引き取られていたそうです。女学校を卒業して代用教員として勤めていらした高崎さんが、ある日、弟さんが引き取られていたところの叔母さんから「ちょっと来い」と言われ、おかしいなと思って行くと、ちゃぶ台の上にお酒とごちそうが用意してあったそうです。
 なにごとかあったと思って問い詰めると、叔母さんがわーっと泣かれて、「実は弟が明日満州に行く、弟は黙って行くと言ったけれども、どうしても黙っておれないでよんだんだ」と言われたそうです。それが弟さんと食べた最後の食事となったそうです。満州で行方不明となられて、二度と会うことはなかったという、食卓の再現です。

■時空を超えたお弁当

 さらに、お弁当の大切さを伝えたいと思い、「時間と空間を超えて、あの人に食べさせたいお弁当」を募集しました。時空を超えたお弁当です。

 これは現在50代の方が、40年前に自分のお母さんがお父さんに作っていた“愛妻弁当”です。うちは貧乏だった、とこの方は言われるのですが、砂利の運搬をするお父さんのために毎朝、母さんが弁当を作って渡していらっしゃったそうです。
 母さんが早くに亡くなり、お父さんはこの弁当を作る1カ月前に亡くなられました。作った方が、「日々の何気ないことがどんなに大事か」ということに気がついたと言われていました。器も40年前のものです。

 また、高校1年生の女の子が、将来自分の子どもが生まれたら食べさせたい弁当もありました。

 それからこれは、私が会ったことの無いばあちゃんへ作った弁当です。母方の祖母は、母が20歳で私の兄を妊娠6カ月目の時に、50代で亡くなったと聞いています。
 母はいつも刺身と海老を食べれば、「ばあちゃんに食べさせたい」と言います。美味しいものを食べると、「こんな美味しいものを何も食べずに死んでいったから、ばあちゃんに食べさせてあげたい」と言います。それを聞いて育った私も今、娘が19歳で、来年20歳になるので、20歳になる娘の子ども(自分の孫)がお腹にいる時、死ななければならない親の気持ちもわかるようになりました。
 会ったことはないですけれども、もしばあちゃんが生きていたら、私と私の子どもと一緒に食べてもらいたい弁当です。会ったことはないのですけど、弁当を作った時に、ばあちゃんと少し会話ができたような気がしました。

■学ぶ=霧島食育プログラム、「この1日があるから残り364日が面白い」

 日本で唯一という活動・取り組みもできました。
 今日もブースで飾らさせていてだいています、「21世紀初めの霧島で食べられていたもの」です。パネルに家庭料理約600皿を展示しています。
 それから「絵手紙で食育」です。自分の母さんが50年前に、どのように盆と正月の用意をしていたか、母さんのつぶやきともに書いてある4mと6mの巻物です。
 蚕も飼っています。蚕を飼って、繭をとって、糸を紡ぐワークショップもしました。

 それから「霧島・食の文化祭」では、青年団の方も参加してくださり「ねったぼ」というお菓子を作りました。高校生も参加して、絵本の読み聞かせや、クイズラリーなどをしています。
 そして各地から食育関係者が集まって、いろんなワークショップをしてくれました。
 鹿児島県徳之島からは、さとうきびをかじる「さとうきびで食育」。愛媛大学からは「ぎょしょくワークショップ」、魚に親しみを持つことができました。
 鹿児島県枕崎市から、「茶節(お茶と鰹節を使ったワークショップ)」、それから四国の徳島からは「キノコで食育」、いろんな活動を協力していただきました。
 当日いた200名のスタッフのある一人が言った、「今までで一番ありがとうと言ってもらった1日だった」という声が印象深く残っています。

 私たちはこの取り組みを、「この1日があるから残り364日が面白い」と言われるような、そして自分たちも面白いと思える取り組みにしたいと思っています。

■耕す=霧島畑んがっこ、つながる=棚田食育士

 それからこの「霧島・食の文化祭」から生まれた取り組みが、2つあります。
 ひとつは、霧島の郷土食を作れない世代が50代以下であることに気づき、現在「霧島たべもの伝承塾」を開いています。
 霧島の食べ物を、レシピは作らず、口と手で、地元のお料理上手な方に教えてもらう教室で、現在21回開催しています。食べる技術を伝える楽しい場作りになっているのではないか、と思っています。地元新聞でもその内容が掲載されています。

 もう一つは育ててみたい、ということでした。そこから始まったのが、「耕す・霧島畑んがっこ」です。昔から霧島で作られている食材を畑で作っていきます。子ども組と大人組があり、のべ1,000人の方が参加しています。
 子ども組は大豆を作って収穫し、高校生も参加して、味噌や豆腐も作っています。そして大人組は、一年間かけて5種類以上の作物を作る、植え方から食べ方までの教室です。

 さらに、「つながる」活動として、食と地域づくりを考える研修会、森・棚田・水・畑から食を考える食育のプロとして、棚田食育士の養成を行っています。

 食育ネットワークの構築ができたこと。それは個人の専門家としての視点だけでなく、参加団体の個性ある活動、それが生涯学習分野、保健福祉分野における地域に根ざしたボランティア活動の視点で行われたということです。
 もうひとつ私たちが基盤にしているのが、「霧島の人・もの・情報」です。霧島に軸足を置き、行政や学校だけでなく、農業をされる方、食育活動団体等と連携し、広がり、つながることができたのが成果だと思っています。

■究極の食育とは?

 私たちが、足元の食のすごさに気がつくことだと思います。
 自分の毎日食べている食について感謝をすること、家庭や地域に残っている食の知恵を学びとる努力や、伝える努力をすること、そして自分の口に入るまでに、この食べ物がどこで作られ・誰によって作られているかを想像することが大事です。

 これは私の考える「究極の食育」ですが…
 子どもが家に帰ってきた時に、がらがらっと戸をあけて「お母さん、今日のごはんは何? お腹がすいたー」とか、お鍋の蓋を開けて「いいにおいがするね」と言う環境、それから子どもがいずれ独立した後も、家のことを思い浮かべる時「母さんの卵焼きが食べたい」とか、「ばあちゃんが作ってくれた味噌汁が飲みたい」と思うとか。
 親はいずれ子どもより先に亡くなることが多いですけれども、亡くなった後も、一個のおにぎりを見るだけで母さんの声が聞こえてきたり、ちらし寿司を見るたびに、作ってくれたばあちゃんの顔が思い浮かんできたりするとか。
 “この料理を見ると、思い出す顔や姿や声があること”、これが究極の食育ではないかな、と思っております。これからやりたいことは、さらに霧島で食を大切にする文化を育てたいということと、全国から集まる食育の研修の場としたいことです。今日はこのような機会を与えていただき、本当にありがとうございました。

(要約文責:地域に根ざした食育推進協議会 事務局)


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